「人間は長生きしたいものじゃない?」と湯山玲子さんが仰っていた。
YouTubeのとあるチャンネルで。肉乃小路ニクヨさんとの対談だった。肉乃小路さんは私と同世代。ちょっと反応に間があったように感じたけど、気のせいかも。
人間は本能で死にたくないと思ってる、と思う。
幸せに生きたいと思ってる、とも思う。
子育て中は絶対的な「いまは死ねん!」があったな。
でも、長生きしたい、にはカギカッコがつく気がする。それには条件があるぜ、みたいな。
95歳の祖母が施設にいる。
認知症で、不便な場所にある戸建てでのひとり暮らしが限界だったから、家族が決めて入居となった。
ちょくちょく尋ねるが、もうとっくに話は噛み合わず、自分が何故ここに居るのかと日に何度も聞くらしい。
職員の方には感謝しかないが、常に忙しくしていらっしゃるので、昼に訪ねるとテレビに古いDVD映像を流して、利用者は長い時間、無言でそれを観ていることがある。
施設は安全で敵温。話しかけてくれる人もいる。
おばあちゃんが幸せだといいなと思う。でも「長生きしてね」という声かけはできないでいる。
先日ギックリ腰で入院したとき、同室の3名が全員、認知症の高齢者だった。隣の方は97歳だった。
私には紳士的な看護師さんが、他の3名にはなんとなく雑な物言いをする。
大声で短く言わないと伝わらないのだろう。相手から返ってくる言葉が意味不明で、つい爆笑してしまうのだろう。せん妄で暴力的になったり粗相したり、手がかかる分、語気が荒くなってしまうのだろう。
3人とも病院のスケジュールで起こされる以外は、たいてい口を開けて寝ていた。医療処置や薬を飲まされているときはいつも辛そうだった。
保育、介護、看護などは本当に大変な仕事だ。現場に少しでも関わったら、職員の方には足を向けて眠れなくなる。もっと高給になるべきだと切に思っている。
本題に戻る。
私は、どうなら長生きしたいかな?
健康なら?お金の心配がないなら?まだまだ見届けたいもの、やりたいことがあるなら?
自分でいられるなら?尊厳が守られるなら…
長生きを考えることと、死について考えることはセットだ。
死について考えるのは難しくて、いつも途中で放り出してしまう。
そして今回も放り出します。
また、いつか。
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